死までの生き方を考える学問

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葬儀の花

 
 みなさんはいつか訪れる自分の死、その時の事を考える事がありますか?

若く健康であれば、時には自分の死を想像する事があったとしても、遠い先の事としてそれ以上突き詰めることは無いですよね。”メメント・モリ(Memento mori)”「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という古代ローマのラテン語の警句ですが、当時は「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」という使われ方だったそうです。それがキリスト教の影響で「死を思え。現世での楽しみ・贅沢・手柄は空虚でむなしい」という陰気な意味合いになったそうです。

いきなり余談になりましたが、私は50近くになっていから、自分含め周囲の人たちがおいおい死を迎えていく事を、さほど遠くない予定として実感するようになってきました。

死生学

「死生学」という学問があります。死生学は、尊厳死や医療告知、緩和医療などの要望から1970年代に確立された新しい学問です。

死生学(しせいがく、英: Thanatology)は、個人の死とその死生観についての学問。具体的には自己の消滅としての死に向き合うことで、死までの生き方を考える学問。(Wikipedia *1)

Thanatologyはギリシャ語のThanatou(死)が語源ですが、死という究極のテーマを直接扱うものだけに、哲学・医学・心理学・文化人類学・社会学・宗教・芸術等々を包括した壮大な体系を持ちます。ちなみに欧米では、まず自分以外の死と向きあう準備として、小学生の時期から「死への準備教育」が行われているそうです。

私は日々を精一杯生きて「食べ、飲め、そして陽気になる」ためにも、「死生学」をひとつのガイドとし、死と生について考えていきたいと思います。

最後の時を迎える場所

日本では現在、8割近くの方がなんらかの医療施設で最後の時を迎えている(*2)のをご存知ですか?それはより整備された介護医療を受けるためであり、家族への負担面等を考えた結果から、ご本人がそう望むのが大きな理由と言われています(*3)。

医療施設の場合、在宅に比べ十分な医療を受けられる可能性が高まる反面、家族や知人などと接する時間は少なくなりますよね。特に日本人の一番の死因である癌の場合、最後の二ヶ月くらいに急速に体が機能低下し、強い全身倦怠感を覚えそのまま死に至る可能性が高いそうです。

つまり我々は、何らかの医療施設で最後を迎えることになり、最後の時期はゆっくり家族知人と語り合う時間は持てそうもないのです。

もちろん必ずそうなるというわけではありません。まだ歩けるうちに会いたい人に会い、行きたい所に行けるかもしれません。しかし往々にして、本人や周囲も回復を期待しますので、もう少し体調が回復したらああしよう、こうしようと考えてしまい、タイミングを逸することがあるそうです。これはスピリチュアルペインと呼ばれる、自らの死を受容するに至るまでの精神的葛藤と共に、大きな難題だと思います。

さてそうなりますと、やはり私たち一人ひとりが自分の死の準備を、健康な時から徐々に行う事が必要だと思います。またそれに加え、残された方にとっては葬儀、告別式が故人とのお別れの重要な場となる可能性が高いでしょう。

このホームページでは「死生学」の中でも、主に人生最後の儀式としての葬儀について考えたいと思います。


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*1 死生学 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E7%94%9F%E5%AD%A6

*2 平成20年 人口動態調査 死亡の場所別にみた年次別死亡数
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001057775

*3 平成16年 厚生労働省 終末期医療に関する調査等検討会報告書 終末期における療養の場所
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/07/s0723-8d8.html

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